・大館持房(もちふさ)
応永八年(1401年) 大館満信の子に生まれる。
幼名:次郎
職歴:刑部少輔→刑部大輔→上総介→奉公衆第五番頭→御伴衆
法名:景龐院・高門・常誉
同二十八年(1421年) これ以後、弟持員とともに義量・義持の近習・申次などに就任
同三十五年(1428年) 正月 将軍義持死去→諸大名が後継者に義教を選んだ際に、父満信が義教を迎え入れる使者となり、
持房はその行列の前駆を務めた。
将軍義政施政初期→従父姉妹の今参局が女房に入り権勢を振るう。
康正元年(1455年) 娘佐子が将軍義政の女房に入り女子を産む
永享初期
父満信は五番頭に、持房は御伴衆を務める。
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父満信は次第に専制的な姿勢の将軍義教の勘気を被り、所領を没収され子持房に与えた。
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義政死後、父満信は寵愛していた弟持員に持房の所領を取り上げて与えた。
・・・父の死後も持員から所領を取り戻す事もなかったという。
「永享以来御番帳」などに第五番頭として登場
応仁の乱→八十余騎の第五番方を率いて幕府警護にまわる。
文明三年(1471年) 九月 第五番頭の地位を孫政重に譲渡し没 享年71歳
妻:赤松義則孫則友娘
子:教幸、教氏、周麟(のち相国寺に住し僧禄司に就任)、山名司農妻、佐子
・「大館持房行状―故総州大守源持房景龐院殿高門常誉行状」
周麟の選で室町時代上級武士の生活を知ることのできる貴重な史料とされている。