・脇屋義治(よしはる)
元亨三年(1323年) 脇屋義助の子に生まれる。
職歴:式部大夫
建武二年(1335年) 箱根竹の下にて初陣し、足利軍と戦闘
建武三年(北朝)・延元元年(南朝)〔1336年〕 この年、兵庫湊川において敗北・・・義治も従軍
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兄義貞に追随し皇太子恒良・尊良親王を奉じて越前金崎城に入り、北陸経営に専従
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斯波高経軍と数年戦うが、勝ち目がないため、美濃梶尾城に逃避
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この城も、土岐頼遠らの攻撃を受け、尾張熱田を経由し吉野に帰京
暦応三年(北朝)・興国元年(南朝)〔1340年〕 伊予に渡り、四条有資らとともに在地武士を南軍に引き込むため努力
康永元年(北朝)・同三年(南朝)〔1342年〕 五月 伊予国府で病没→父死後上野に帰国
文和元年(北朝)・正平七年(南朝)〔1352年〕 新田義興と鎌倉を攻撃するが敗北し越後に逃れる。
応安元年(北朝)・同二十三年(南朝)〔1368年〕 新田義宗とともに越後で再度挙兵するが、上手くいかず出羽に逃亡し消息を絶つ。