さて、江戸時代後期に入ると苗字・帯刀の制度が崩壊してきて、民・百姓でも苗字を公称する動きがでて
きます。それでも、それができたのは都市部の人達で地方ではなかなか出来ませんでした。
明治時代に入ると政府は、近代国家体制を欧米並みにする目的で法律を制定して行きます。
でも、裏では政府を支える軍隊の創出と貢租の徴収確保が目的であったと考えられています。
戸籍に関係する事柄を取り出すと以下のようなものがあります。
明治三年(1870年) 9月4日 太政官が「自今平民苗字被差許事」を布告
つまり、「今まで苗字公称をを禁じていたけど、
これからは苗字を使うことを許します。」という意味です。
11月 国名・旧官名などを通称とする事を禁止
同四年(1871年) 4月 戸籍法制定
同五年(1872年) 2月 戸籍法実施
5月 通称と実名を併称することを禁止
8月 華族から平民に至るまで、苗字・個人名・屋号の改称を禁止
余儀ない場合 管轄官庁へ願い出る事
同六年(1873年) 3月 自今・歴代天皇の諱ならびに御名の文字を苗字にするのは構わないが、
熟字そのままのは禁止
同八年(1875年) 2月 苗字を唱えることを全国民に強制
→祖先の苗字不分明のものは、新たに苗字を設けるよう命令
↓
役場の書記や檀那寺の和尚などが、頼まれて苗字作成を進行させる
↓
この時、主家の苗字や庄屋・名主の苗字をもらったりした為、
今日、特定の村落に同一の苗字が密集するようになる。
実例 明治三年(1870年) 愛媛県南宇和郡の数部落→網元が頼まれて苗字を作成
網代の部落 網具の名
大敷、大目、木網、有請など
おおしき ありうけ
荒樫の部落 野菜の名
大根、蕪菜、麦田、粟野など
おおね かぶな ばくだ
※ 蕪名や根深はのち池田などに改称
(「民間伝承」15-12のため)
本谷の部落 魚の名
田井、平目、浜地、多古など
屋号を苗字にしたもの
紺屋、油屋、絹屋、綿屋、栗屋、米屋、鯉屋、網屋、灰屋、桝屋、計屋、紙屋、湯屋、弓屋、鹿屋、
木屋、壁屋、銭屋、駒屋、鍛冶屋、御旅屋など
僧侶の苗字
概存の苗字に戻った者や新しく苗字を作った者もいる→仏教にちなんだ苗字や珍苗字などが目立つ
桑門、釈、禿氏(とくし)、月光、星宮、法華津、無着(むちゃく)、波羅密、法心、大乗、仏願、法田、
西願、般若、常住、南無、冥加、結縁(けちえん)、別院、伽藍、方丈、境内、観音、念仏、三界、
天竺、祇園、本山、正覚、上人、合掌など
このように、法の制定によって新しい苗字が次々に作られて行きました。
明治政府は、また、苗字の整備の他にも家父長制度の強化もしています。
それでは、今度は家父長制とは何かについて見て行くことにしましょう。
家父長制度について